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「染、色」〜秋に咲いた不時の桜は次の春も咲けるのだろうか〜

こんにちは、もよです。

 

 

染、色 東京千穐楽公演おめでとうございます!

加藤シゲアキ脚本、正門良規主演の「染、色」公演決定の嬉しいお知らせから一転、コロナウイルスの影響により昨年中止となってしまった舞台が、こうして無事東京公演を終えられたこととても嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NEWS担としては、考察せずにはいられないということで、さっそく舞台「染、色」の考察をまとめていきたいと思います。

 

 

 

※この後ほとんど物語のネタバレとなります。ネタバレ読みたくない人は絶対に先に進まないでください。

 

 

"原作と違う名前"の話と"秋の桜"の話だけでも読んでくれるとなんとなく私のおおまかな考察が分かると思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 原作と違う名前

原作では主人公の名前は「市村」、市村に影響を与えるキーパーソンである女性の名前は「美優」です。

 

しかし舞台版「染、色」では、正門くん演じる「深馬」、三浦さん演じる「真未」に名前が変更されています。

 

原作を読んだ方はわかると思いますが、物語の設定や物語の運びは原作とほとんど同じにも関わらず、展開と結末が全く違うものとなっていました。

 

原作も舞台版も共に、深馬は倒れた後、真未と一緒に壁に絵を描くことをやめ、それ以来真未と会うこともなくなったのですが、その原因とその後の終わりに向かう展開が原作と舞台版でかなり大きく変わっています。

 

 

原作では、市村(深馬)が美優(真未)と一緒に壁に絵を描くことをやめたのは、美優が学校をやめてロンドンで画家になると決めたことを市村に話した時、市村が着いていかないことを決めたからです。

そしてその後市村は美大の卒業式を迎えます。ふと見つけたハガキに書いてあるURLが美優のものであると気づき、そのサイトで美優のロンドンでの活動を知るのです。そこには市村と一緒に作った作品の影も形もなく、彼は確かに美優と過ごした過去が存在したことを証明しに行くのです。

 

一方舞台では、展覧会に向けて深馬が作っていた作品を壊した犯人が真未だと知ったからでした。

その後深馬は倒れて入院し、真未と会うこともやめました。もう一度真未と会ったら何かが変わってしまう、いや、戻ってしまうと思ったから。

舞台では深馬はわざと単位を落として留年しました。そしてその後真未と会わなくなってから、友人たちと話していると自分の過去の記憶と彼らの過去の記憶が食い違っていることに気づきます。おかしいと思った深馬は真未が深馬の絵を壊した証拠の映像を見せろと友人に頼みますが、そこに映っていたのは、作品を自分自身の手で壊す深馬だったのです。

そこから記憶を辿ってみると、今まで真未の仕業だと思っていたものは、全て深馬が自分自身で行っていたというのが、舞台「染、色」の結末であったと思います。

 

ここで原作と舞台で大きく違うのは、美優(真未)が確かに存在したかということです。原作の美優は確かに存在していて、市村と会わなくなった後も画家として活動しています。

しかし真未は深馬の中に存在していて、深馬そのものであったと考える方が自然だと思います。

 

「みうま」と「まみ」。「まみ」は逆から読むと「みうま」なのです。「まみ」は「深馬」の中に存在していた深馬そのもの。一緒に壁に絵を描き、酒を飲みかわし、体を重ねた真未はおそらく深馬の幻想にすぎません。どちらが先かはわかりませんが、ここの結末を変えたことで登場人物の名前を変えたのではないでしょうか。

 

そうすると最後の自慰行為も説明がつきやすいんですよね。原作だと正直なんでここで自慰するんだろう、男性はそうなのかな、のような思いがありました。しかし、今まで深馬が真未と過ごした時間はすべて、自分で自分自身を慰める「自慰行為」でしかなかったと考えると私は腑に落ちた気がしました。

 

自慰行為のあとに深馬が杏奈に電話をかけるのは、真未と過ごした時間が幻想なことに気づき、確かな現実に縋りたかったからだと思います。

 

 

 

 

 

  • 秋に咲いた桜

これは私が物語の大きなテーマだと思ったところです。

物語の冒頭部分で深馬が

「秋に咲いちゃった桜は次の春は咲けるのかな」

と言うのですが、深馬は何度も執拗にこの問いを投げかけます。NEWSを通ってきた方は気づかれましたよね。

 

こちらのセリフ、実は脚本の加藤シゲアキのソロ曲の歌詞の一節なんです。原作にはこのセリフは存在しません。

秋に咲いた不時の桜は
次の春も咲けるのだろうか

      (加藤シゲアキ "星の王子さま"より)

星の王子さまの考察をするとこれまた長くなってしまうので、気になる方は個人的に聞いてください(笑)

 

「咀嚼、吸収、再生産」

加藤シゲアキはこの言葉を用いて当時このソロ曲について語っていました。

 

私は、まさに舞台版「染、色」のテーマは「再生、再起」なのではないか、と考えました。

 

染、色という話の中で深馬は常に作品作りが上手くいかないことに葛藤しています。自分の限界を感じていて、作品展の時も「去年のとどっちがいい?」など友人たちに必要以上に問いかけます。

 

深馬が執拗にこのような問いかけをし、秋に咲いた桜が次の春も咲けるのかにこだわるのは、自分自身が「間違えて咲いてしまった桜」だと思っているから。間違えて秋に咲いてしまった桜が次の春も咲くことができるなら、間違えて咲いてしまった自分もまた咲くことができるから。本来咲くはずだった春(時)に自分も咲くことができるかということを気にしていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

  • 服の色

深馬の着ている服ははじめはベージュで、それと対照的に真未は真っ黒な服を着ています。その後真未と体を重ねた後、深馬は真未と同じ黒い服を着ていました。

これは深馬がどんどん自分の中の「真未」という存在に染められているということを表していると思います。深馬が倒れた後に病院で着ていた服はグレーで、色が薄くなったもののまだ若干真未の色に染められている状態。その後退院してからはまたベージュの服を身につけていました。

 

舞台ということを利用して視覚的に深馬が真未に染められていっていることをわかりやすく示したのではないでしょうか。

 

ラストシーンで、今までずっと黒い服を着ていた真未が、真っ白なワンピースを身にまとい、その周りを桜の花びらが舞っていました。

これが「秋に咲いてしまった桜は次の春も咲くことができるのか」という問いの答えでしょう。

 

深馬は真未に確実に染められていたけれど、倒れてから真未には会おうとしなかった、戻ろうとしなかったことで、1度真未に染められた色が消えたようにも感じます。真未の身に纏う服も真っ白になっていました。

 

しかし、「1度ついた染みは消えない」深馬はラストシーンで確かにそう言いました。

 

深馬に1度染みついてしまった染みは消えることはないし、間違って咲いてしまったこともなかったことにはできない。でも深馬が言っていたように、何層も上から塗り重ねられるのが油絵の特徴であり魅力であるように、1度ついてしまった染みも、また何度も新しい色を重ねればいい。そう言っているようでした。

 

1度間違って咲いてしまっても、もう一度咲けばいい。深馬はこれからなんにだってなれる。秋に咲いた不時の桜が次の春も咲くことができるように。

 

 

 

 

 

  • おまけ

私は、この舞台版「染、色」のテーマが「再起」であるならば、NEWSファンにもぜひ見て欲しいと思いました。暗いお話のように感じた方もいるかもしれませんが、「染、色」の世界には確かに希望があった。少なくとも私はそう思いました。

「再起」に対する「希望」

NEWSファンに伝えたい…(私情)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見出しが少ない割に、長くて読みにくい文章になってしまいました。すみません。

 

東京千穐楽に間に合うように書き上げたので、足りないところや忘れているところがあるかもしれません。その際はまた書き足したり、再考したりしていきたいと思います。

 

これはあくまで私の勝手な考えで、主観にすぎません。もっとちゃんとした考察読みたいよって方はぜひ私の友人に加藤担正門担がいるのでその子の考察を待っていてください(笑)

 

 

 

 

「染、色」大阪公演も健康第一で頑張ってください!